香りの現場④ ― 余韻に宿るバニラ。祇園の茶室「然美」が、菓子で描く香りのものがたり。
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香りのコラム
京都・祇園/立礼茶室「然美」
祇園の路地に静かに佇む、完全予約制の茶室があります。立礼茶室「然美」。お茶と菓子を五感で味わう「茶菓懐石」の空間です。9月の一品「白露」は、レモンバニラのムースと九州醤油のコンフィチュールを、京都バニラビーンズの樽熟バニラを纏った練り切りで包んだ意欲作。「バニラが必要だったから、バニラを使った」。その言葉の意味を、香りと味わいの重なりのなかに探っていきます。

総合芸術という名の茶室
築100年超の京町家をリノベーションした「然美」は、2021年に祇園に誕生しました。現代美術作家・髙橋大雅さんが手がけたこの空間は、茶室でありながらギャラリーでもあり、ブティックでもあります。彼は1995年神戸生まれ、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズで学び、ニューヨークでファッションブランドを立ち上げた異色の経歴の持ち主です。「過去の遺物を蘇らせることで、未来の考古物を発掘する」。その哲学がこの場所に凝縮されているように感じました。
「お客様が来られるのは、お茶だけを楽しむだけでなく空間・体験を楽しみに来られているんです」と、取材を通じて感じる空気があります。お茶を点てる音、こだわりの詰まった器、照明、カウンターの炉から立つ湯気。すべてが演出であり、すべてが意味を持つ。「然美」とは、侘び寂びの「サビ」から名づけられました。日本古来の美意識を、この時代に問い直す場所として。

老舗の技と、洋の感性が交差する場所
「然美」の菓子を担うのは、菓子職人の田村陽一郎さんです。かつては神戸でパティシエとしてキャリアを積んだという経歴が、田村さんの生み出す菓子に独特の厚みを与えています。
田村さんが菓子を生み出すときに大切にしていることのひとつが、「使いたい素材を先に決める」という考え方です。季節や場の空気から「この素材で何かできないか」と着想し、そこから構造を組み上げていきます。9月の一品「白露」の場合、バニラの香りを嗅いだとき、「合わせるなら檸檬で練り切りにしようと思った」と田村さんは言います。
もうひとつの大切にしていることは、日常のなかにヒントを探し続けること。今回の「白露」に使われている九州醤油のコンフィチュールも、ある寿司チェーン店を訪れたときのひらめきがきっかけだったと言います。料理の文脈や場所を問わず、「これを菓子に持ち込んだらどうなるか」という視点を、田村さんは日々の食体験のなかに見つけています。
月替わりで発表されるコースは、一度出したものは二度と出さない。一期一会という茶の湯の精神を、菓子の世界で体現しています。コースは5品。一保堂茶舗や利招園茶舗など京都の名茶舗から仕入れたお茶、そしてときにはスパイスやハーブを合わせたカクテルやモクテルとのペアリングで供されます。

バニラとの出会い|「余計なものは、入れない」
「洋菓子には当たり前に入っているバニラ。でも、バニラにスポットが当てられることって、ほとんどないんですよね」
そう語る田村さんが、京都バニラビーンズの樽熟バニラと向き合ったのは、9月の菓子を考えるなかでのことでした。「9月は、暦の上では秋。でも実際はまだまだ夏。この季節ならではの爽やかさに、バニラの甘い香りを重ねたかった。」
檜熟成のバニラビーンズの香りを嗅いだ最初の印象は、「日本人への馴染みが良さそう」だったと言います。樽熟バニラが放つ香りは、バニラ本来が持つ甘い香りに加え、木樽で熟成された時間の重みが滲む。スパイシーでありながら深く、華やかでありながら落ち着いています。
バニラが香る瞬間|練り切りの中に閉じ込められた時間
「白露」は、複数の素材が層をなす構造を持つ。食べる順番を意識した設計。「どれが最初に溶けるかを考えながら作る」という言葉が、その哲学を表しています。
食べ物は、口の中で溶けるときに香りが強くなるそう。田村さんはそのことを知っているから、菓子を設計するとき、「どの食材がどの順番で溶けるか」を先に考えています。溶ける瞬間に香りが開く。その連鎖をコントロールすることで、一口のなかに時間の流れを生み出しています。
「白露」でいえば、まず練り切りが溶け、樽熟バニラの香りが口いっぱいに広がる。続いてムースが解け、レモンの酸が加わる。次に現れる九州醤油のコンフィチュールがじわりと現れ、バニラシュガーの余韻が静かに残る。洋菓子では使用頻度が高いのにスポットが当たることが少ないバニラが、ここでは溶ける一番手として堂々と主役を担っている。そして最後に口の中に甘さを残すのが、てっぺんに振り掛けたバニラシュガー。
- ねりきり:水分部分を牛乳に変え、樽熟バニラを漬けこんだ練り切り生地が、白露全体を包む。口に触れた瞬間、まずバニラの香りと甘みが広がる。
- レモンバニラのムース:口溶けの良さで、ねりきりに続いてすっと溶ける。バニラの甘みにレモンの酸が寄り添い、爽やかな余韻を残す。
- 九州醤油のコンフィチュール:甘く、とろっとした九州醤油のコンフィチュールが、最後に顔を出す。九州醤油らしい、甘じょっぱい後韻が静かに続く。
- バニラシュガー:白露のてっぺんにのせられたバニラシュガーが、最後まで口の中に残り、温かい「新涼」によってじんわりと溶かされる。

食べ進むごとに変化する香りと味。ねりきり→レモンムース→九州醤油コンフィチュール、そして最後まで口の中に残るバニラシュガー。時間をかけて食べることの喜びを、一口のなかに閉じ込めた菓子です。
「1つのお菓子を完成させるために、バニラが必要だった」この言葉が、「白露」というお菓子の根底にあるようです。
口の中が空になっても、バニラの香りはしばらく消えない。
田村さんが「白露」に込めたのは、そういう時間です。食べ終えたあとも、香りだけが静かに居続ける。溶けた素材の記憶が、順番に、ゆっくりと薄れていく。京都バニラビーンズのバニラはその余韻の起点として、最初に溶け、最後まで残りつづけるのです。

菓子の世界に当たり前のように存在しながら、それ自体にスポットが当たることの少なかったバニラ。「白露」の一口のなかに、京都バニラビーンズが樽熟という製法に込めた時間の意味が、静かに重なっています。
店舗情報
立礼茶室「然美」
京都・祇園/茶菓懐石の完全予約制茶室
住所|京都府京都市東山区祇園町南側570−120 T.T 2階
営業時間|予約3部制 12:00-13:30 / 14:00-15:30 / 16:00-17:30
定休日|なし(完全予約制)
TEL|075-525-4020
アクセス|阪急京都線「京都河原町駅」より徒歩約10分
駐車場|なし(祇園周辺のコインパーキングをご利用ください)
コース料金|7,700円(税込・5品)
販売について|「白露」は2026年9月の月替わりメニューとして提供(詳細は店舗へお問い合わせください)
Web|https://rustsabi.com/
Instagram|@rustsabi
